今年も残すところあと3日。高桐のもとで備前焼の修業をはじめて三度目の冬がやってきた。はるかは、窯焚きという大切な工程のため、ここ数日、窯につきっきりで薪をくべながら温度計とにらめっこしている。パチパチと心地よい音をたてる炎を真剣に見つめているうち、東京時代の年末を思い出していた。
12月の年の瀬。東京の冬は肌に刺さるように痛い。新年に向かって街はどこか浮き足たっているがはるかの気持ちは逆行するようにどんより落ち込んでいた。ここ数日、立て続けに仕事でミスをしてしまい、社内でも頭を下げっぱなしだった。致命的だったのが3日前、受注先の大型案件の請求書の金額を間違えて入力してしまったこと。さすがに上司と共に取引先まで頭を下げに行くことになった。
「手土産でも買っていくか」
上司の坂田に連れられ、職場近く新橋の老舗和菓子店を訪れた。ショーケースをのぞくと、店の名物として「切腹最中」がど真ん中に陳列されている。なんでも、この店が忠臣蔵の起こりとなった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した屋敷跡であることから生まれた菓子だという。たっぷりの餡、求肥入りでボリュームあるその姿に反してさっぱりと仕上げられた最中は、その名前から、仕事で頭を下げる際、手土産に使われるサラリーマン御用達の菓子だという。「これ、意外とウケるんだよ」。はるかの落ち込みを慰めるように坂田はクククと鳩の鳴き声のような声で笑うと、大きめの箱をひとつと、バラ売りをふたつ手に取り、ひとつをはるかに手渡した。
取引先では平身低頭、潔く頭をさげた。部屋に入ってきた時は気難しい顔をしていた取引先の係長も、坂田が差し出した切腹最中を見て表情がふいにほころんだ。会社へ戻る道すがら、「日本社会って、男の世界って何だかんだ言って、古き良き武士時代なんだ」。切腹最中に助けられたはるかだが、なんとも複雑な気持ちになった。
その冬の休みは、やさぐれた気分を変えようと新潟県村上市へ出かけた。昔から日本酒に目がないはるかのお気に入りがこの地で醸される銘酒、〆張鶴だ。イラストレーター、安西水丸氏のエッセイで〆張鶴を知った。メロンのような香り、スッキリと綺麗な口あたり、最後はキリッと引き締まった味わい。一言でいうなら淡麗旨口の酒だ。村上市は新潟県最北に位置する鮭で有名な町でもあり、北前船の寄港地にも認定されている。
風情ある佇まいが残る城下町で、町人町、武家町、寺町。様々な表情の町並みが残る。中でも住民たちの手で趣きのある黒塀に生まれ変わった通りは国から「美しいまちなみ大賞」を受賞している。はるかは、一軒のノスタルジックな雰囲気ただよう町屋造りの店舗に吸い込まれるように入った。天井の梁から千匹以上の鮭が吊るされている。「千年鮭・きっかわ」という鮭を専門に扱う店で、米問屋からはじまり酒造業を経て創業390年を越える老舗だ。
村上市は平安時代、京の都に鮭を献上してきた歴史があり、千年の昔から鮭は特別な魚だったという。そんな鮭の命を尊び、内臓、骨、頭、エラにいたるまで大切に一尾を活かしきるのがきっかわの矜持だ。化学調味料、添加物は使わず、発酵と熟成にこだわり100種類以上の調理法を今に伝えている。皮せんべい、鮭の酒びたし、塩引き鮭、鮭の生ハム。「これは〆張鶴との相性もバッチリだわ」。嬉しそうに頬を緩ませるはるかを見て店のスタッフが声をかけてくれた。「昔、米が不作の時ほど鮭がたくさん獲れ、飢えをしのぐことができたんです。村上を救ってくれた鮭は天の恵みです」。天井の梁から吊るされた鮭の腹を指さしてさらに続ける。「見てください。大切な鮭に切腹させてはならぬ、と鮭のお腹はすべて切らず、一部を残すのが村上の鮭への流儀なんですよ」。
私の年末は切腹最中で終わって、年明けは切腹しない鮭で始まるのね。
はるかは妙なシンクロに苦笑いした。
はるかの東京時代の回想は自分を呼ぶ高桐の声で現実に戻された。「東京時代、夢もトキメキもないと思っていたけれど、あの冬は自分なりに頑張っていたし、ある意味ドラマティックだったよね。でも今の自分の方があの頃よりもっと好きだ」。はるかは一人呟くと、窯の前から立ち上がって作業着についたほこりを払った。