私は、瀬戸内の海に面した室津港に暮らしています。港町らしい風情が漂うここ、御津(みつ)町は、昔から天然の良港として栄え、新鮮な魚介が豊か。ぽかぽかと降り注ぐ太陽の日差しを浴びながら、漁師の家の軒先でだらりと身体を伸ばしたり、丸まったり、毛づくろいをしたり、自由気ままに暮らしています。
石畳の細い路地裏散歩は、毎日パトロールしてもちっとも飽きません。釣り人がアジやメバル、イワシなどお魚のおすそ分けをしてくれるのも嬉しいご馳走です。
この静かな港町にまつわるのが「お夏と清十郎」の悲恋の物語です。このお話しは実話で、人間界では有名な作品として知られていますが、私たちの世界では、親から子へ、代々、語り継がれている物語なのです。どんなお話しか、気になってきたでしょう?
室津にある造り酒屋の若旦那、清十郎は、14歳の頃から放蕩三昧を尽くし、室津中の遊女と深い仲になったと噂されるほどの美男。一方、姫路城の本町で、米問屋但馬屋の娘として生まれたお夏。とりわけ可愛い娘だと、その評判は京の都まで知れ渡るほどでした。
そんな但馬屋の元に、奉公に出ることになった清十郎。ある日、お夏は、ひょんなことから、清十郎に送られた数々の恋文を目にします。その手紙は、どれも違う遊女たちからで一方的に恋焦がれた胸の内が書かれていました。「顔も知らない使用人の中に、こんなにも沢山の女から恋い慕われる男がいたとは」――。一体、どんな男だろう。お夏は衝撃を受け、いつの日か清十郎に想い焦がれるようになります。
一方、もう恋はこりごりと、生まれ変わった気持ちで、実直に勤めに励んでいた清十郎は、お夏からの恋文に驚きます。手紙は毎日のように届き、そこには、不器用ながらも真剣な思いが綴られています。清十郎の方も次第にお夏に惹きつけられていくのでした。
季節は春。海沿いに咲く桜が夕暮れに染まるころ。花見に出かけた但馬屋の宴席の場で、初めて二人はお互いの姿を目にします。二人の思いは同じものと確信しあいますが、大勢の女中の手前、逢瀬は叶いません。
「どうか二人きりになれたらいいのに」。お夏の祈るような思いが通じたのか、ふと、聞こえてくる大神楽のお囃子。女中たちは皆、その場を立ってしまいます。思いがけず残された清十郎とお夏。お囃子の音の高鳴りと共に、二人の鼓動も高まります。手をそっと握り合い、思いを添い遂げるのでした。
ようやく叶った逢瀬も、この先に未来はない――。思いつめた二人は駆け落ちを画策、船で大坂に逃げるものの追っ手に捕まり、清十郎は無実の罪であっけなく死罪に。狂乱したお夏は、その後、命を絶った、髪を下ろして尼僧になったなどと、まことしやかに伝わっています。清十郎、25歳、お夏、16歳の若すぎる恋でした。
そして、清十郎の生家があったのが、ここ室津港でした。現在では取り壊され、石碑がぽつんと建っています。
人間界にはこんな哀しいお話しがあると聞いて、とても驚きました。私たちの世界は、こんな煩わしいものと無縁で良かったね、とお母さんは言ってました。だけど、私はほんのちょっとだけ、運命に翻弄される二人の人生も悪くはないんじゃないか、そう思いつつ、今日も干し草のようなにおいのする太陽を浴びながら、あくびをするのです。