いつの時代も、一攫千金を夢見るのはみな同じ。身分制度が厳しかった江戸時代、北前船はその夢とロマンの象徴でした。荒海に乗り出す勇気と商売のセンスがあれば、普通の庶民でも大富豪になれるチャンスがあったからです。
江戸時代、佐野村(大阪府泉佐野市)を本拠地に北前船の廻船業などで巨財を築いたのが食野家(めしのけ)。江戸時代,財政がひっ迫した大名(藩)に対して金を貸す「大名貸し」や「御用金」などの金融業も行い、手広い商売で大豪商になりました。
そんな食野家の10代目、「和泉の暴れ大尽(大富豪)」とも称された食野佐太郎がモデルとなっているのが上方落語「たばこの火」です。お茶屋で豪快な金使いをする大富豪のエピソードでありながら、最後はクスッと笑わせる、どこか憎めない物語。人間の「欲」の裏をかく、「食(メシ)の旦那」の豪快かつ痛快な、人間的面白味が伝わってきます。どんなお噺か、どれ、ちょいと聞いてみましょうか。
大阪は住吉神社の前で客待ちをしていた駕籠(かご)屋。そこに身なりの良い老人がやってきて「大阪のお茶屋で遊びたい」と言うので、北の新地にある茶屋へ案内します。老人は店の若い衆に、駕籠賃として帳場から一両を建て替えさせ、座敷にあがると祝儀として、舞妓、芸妓衆へ次々と大金を建て替えさせます。さらに奉公衆に五十両の立て替えをしてくれと言い出し、さすがの帳場も、そんな大金を一見の客に立て替えるわけにはいかない、と断ります。
すると老人は持っていた風呂敷包を開け、中にぎっしり詰まった小判をつかむと、立て替えてもらった金の二倍返しをした上に、残りを豪快に座敷にばらまきます。「あぁ、久しぶりに面白かった」。老人は大声で笑いながらさっさと帰ってしまいます。
店の若い衆は旦那の後をつけ、この老人が、「和泉の暴れ旦那、食(めし)さん」と知ります。旦那の住む家の門番から「もし五十両を立て替えていたら、『肝っ玉の太いお茶屋や』と、お前の頭に千両箱を乗せて千両箱の香々にしたはず。いっぺんしくじったらお終いや」と言われ、すっかり落ち込んで帰ってきます。
それでも諦めきれぬ若い衆は大阪中のかつお節を買い集め、芸妓衆を引き連れて、暴れ旦那、食さんの本宅へお中元を届けます。旦那は、「また寄らせてもらいますので、その時は貸してくれ、と言うたもんは何でも貸しておくれ」と言い、若い衆の作戦は大成功したかに見えました。
お茶屋では、十両、五十両、千両箱まで用意して待っていると、旦那がひょっこり店を訪れます。
食の旦那「はい、ごめんなされや。今日は借りたいものがあって来ましたんじゃ」
若い衆「今日はいかほどのお立て替えで?」
食の旦那「ちょっと、たばこの火が借りたい」
おあとがよろしいようで。
ともに北前船で財をなしたことから、「加賀の銭屋か和泉のメシか」とまで謡われた食野家。幕末には廻船業の衰退と、明治の廃藩置県で大名貸しした貸し金がほとんど貸し倒れとなったことから一気に没落。栄華の夢は泡のごとくはかなく消えてしまうのでした。