「庄内の酒田名物 何よと問えば
お米にお酒に艶やかな舞娘 あらま、ほんと素敵」
北前船の交易により栄えた山形県酒田市には、瀬戸の塩、津軽や秋田の木材、北海道の鰊や昆布から、仏像、伊万里の器、お雛様まで、様々なものが北前船によってもたらされました。こうした先進的な上方文化を積極的に取り入れた酒田の町には、今でもその文化の香りが漂います。
多くの豪商が生まれたこの地で、現在、「舞娘茶屋」として営業する相馬樓や、日本一の大地主とも呼ばれた本間家旧本邸は、往時の繁栄を知ることのできる北前文化のひとつです。
江戸時代から料亭「相馬屋」としてにぎわったのが、「舞娘茶屋 雛藏畫廊 相馬樓」。1階の20畳部屋は「茶屋くつろぎ処」として、2階の大広間は舞娘さんの踊りとお食事を楽しめる宴舞場として営業しています。
ちなみに、京都では「舞妓」ですが、ここ酒田では「舞娘」。これには、宴席での「芸」だけでなく、「その場を華やかに盛り上げる舞う娘」の意味が込められています。
玄関に一歩足を踏み入れると、燃えるような緋色の毛氈が敷かれた妖艶な世界が広がり、異空間に迷い込んだかのよう。舞娘さんたちの艶やかな踊りに魅せられて、気分も上がること、間違いなし。
1階に併設されている竹久夢二美術館には、酒田の町を気に入った夢二が、滞在して創作活動を行ったことから、多くの肉筆画や版画などの作品が残ります。見所は夢二自身が撮影した美人写真が、瓜二つの美人画に添えられて展示されていること。実際のモデルからどのように作品に昇華させたかがイメージできるのです。いつの時代も、「こんな美人になれたら」と思うのは世の女性の常。壁に飾られた美女たちを眺めていると、美人のエッセンスで心身が潤うような錯覚に陥るかもしれません。
酒田の本間家は、北前船の商売でめきめきと財を成した豪商で、その財力たるや、庄内藩の石高、13万石に対し、本間家は20万石。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗謡にうたわれるほどで、日本一の大地主の名をほしいままにしました。
その本間家三代目の光丘が幕府の巡見使一行を迎える宿舎として建てたのが本間家旧本邸です。現在では一般公開されており、中を自由に見学できますが、ガイドをお願いしてひと部屋ごとの解説を聞くのがおススメ。お雛様や端午の節句など、年間を通じて四季折々の企画展も開催されています。
3月~4月にかけて行われる「酒田雛街道」のイベントでは、本間家旧本邸や相馬樓など酒田市内のいくつかの会場を舞台に、江戸時代から大切に受け継がれてきた、様々な時代、様々な顔つきのお雛様がにぎやかに展示されます。また、期間中、市内の飲食店にはイベントにちなんだ雛膳やスイーツも登場するので、こちらもお見逃しなく。
酒田は、可愛いもの、美しいものに目がない女の子の心を満たし、女の子がもっとキレイになれる町なのです。