「命のほどや長からん この松が枯れるとき 私の命もないものと」
―この命、一体いつまで生きながらえることだろう・・・
この松が枯れたとき、私も死んだものと思ってくださいね―
全国に点在する「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)伝説」。人魚の肉を食べて800歳まで生きたとされる伝説上の女性「比丘尼」(尼僧)の物語です。長寿でありながら、その姿は15、16歳の娘のようで、真っ白な美しい肌をしていたことから、「白(しら)比丘尼」とも呼ばれています。
この八百比丘尼。仏教修行がてら全国諸国を行脚したと言われ、北は青森県から西は佐賀県まで伝説は点在しますが、物語の中心は、新潟県長岡市、佐渡島、福井県小浜市など、北前船の寄港地でもある北陸から能登地方にかけて。北前船が西から北へ、北から西へ、様々な物資と文化を運んだように、八百比丘尼の物語も、全国津々浦々を旅して伝わったようです。
新潟県は長岡市寺泊の野積海岸にあるお宿「まつや」にも、この八百比丘尼の伝説が残っています。思いがけず、永遠の美貌と若さを手に入れてしまった娘の悲しみ。一体、どんな伝説なのでしょう。
今から二千年の昔。お弥彦の神様が「まつや」のある野積の坂に上陸され、金五郎ら三人にご馳走をふるまいます。お料理もお酒もたらふくいただき、お土産をもらって三人は帰ります。お土産の箱をあけてみると何やらヌルヌルとした得体の知れない食べ物が。気色悪いと他の二人は捨ててしまいますが、金五郎だけは戸棚の奥にそっとしまいます。
翌朝、金五郎の一人娘は、戸棚の奥の箱を見つけて、「何だろう?」とひと口、ふた口、なめてみました。すると、あまりに美味しくて、全部平らげてしまいました。すると、もともと器量良しだった娘はますます美しくなりました。17才で縁あって嫁入りしますが、それから何十年経っても、17才の姿のまま。夫に先立たれてしまった娘は、その後も何度も嫁入り(再婚)しますが、皆、年老いて死んでしまいます。嘆き悲しんだ娘は、毎日、毎日、泣いていました。そして、ついに五百歳になった時、比丘尼(女の坊さん)となって仏教修行の道を選ぶのです。
娘は村を発つ時、家の前に三本の松を植え、こう言い残します。「この松が生きている間は私もどこかで生きている。この松が枯れた時は私が成仏したものと思ってください」。
娘は仏教修行ののち、最後は若狭の国(福井県)小浜のお寺の岩屋で入滅されたそうです。この若さを保った秘密が、禁断の肉とされる人魚の肉を食べたため、とされています。
人々は、いつまでも年老いないこの娘を八百比丘尼と名づけ、この松は「八百比丘尼の松」と言い伝えられています。世の女性が憧れる、永遠の美貌と若さ。この「八百比丘尼の松」が今も残る伝説ゆかりの宿に泊まれば、そのご利益にありつけるかも?