ふたりは松前藩屋敷を出て、寺町の方へ歩いていった。松前城の裏手にあるこの地区には、十五世紀から十七世紀の間に創建された多くの寺が集まっていた。松前藩の祈願寺である阿吽寺をはじめ、元々は奥尻にあった法源寺、後水尾天皇から山号を賜ったとされる光善寺、箱館戦争で唯一焼失を免れたという龍雲院、松前藩主の菩提寺だった法憧寺など、どれも由緒ある寺が並んでいる。
案内によると、そうした寺社の向拝の石畳や山門の敷石などは笏谷石でできているという。
「笏谷石か。福井でしか採れない石ね。ここのも北前船で運ばれてきたのかな?」
紀生がそう漏らしたが、
「年代的に北前船以前のものみたいですけど、交易船で運ばれてきたことは確かですよね。海岸近くの家や土蔵の土台や石垣なんかにも笏谷石が使われてるみたいですけど、そちらはきっと北前船で運ばれてきたんだと思います」
──法憧寺に隣接して、松前藩主松前家墓所があった。歴代藩主やその家族の墓が五十五基並び、石造りの立派な霊廟が多かった。そうしたものも、北陸から運ばれた笏谷石や御影石が使われているのだという。
「すごい景色ですね……としか、いいようがないというか」
澪はうまく言葉にできないもどかしさを感じていた。
南越前町河野、加賀橋立と同じような、時間を超越した趣があった。あたりを囲むまだ花をつけていない桜の木、それが満開になった季節は、この墓所はどのような景色になるのだろう。
「こうして実際に歩いてみると、やっぱり見るべきところは多いんだね」しみじみと紀生が言った。「これはあれだね、同じ北前船文化の土地としては力を合わせてやっていきたいって思うよね。函館から百キロ、車でしか来られない事実は変えられないけど、歴史を武器になんとか訴えかけていくことしかできないもんね」
「はい、私もそう思います」
澪は深くうなずいた。
「それこそ関西の昆布だしの話じゃないですけど、今も生きている文化の中で、北前船が果たした役割のこと、それを少しずつでも広めていくしかないです」
「ほぅ。なんか風見さん、すっかり逞しくなったねぇ。今回のこと、任せて正解だったかな、やっぱり」
「いえ、そんな……」
「ははは、僕の勘はやっぱりすごいわ」
「……」
──寺町を抜けたふたりは松前城を訪れた。
「松前城のことなら、僕、説明できるよ。幕末のこと、ちょっと詳しいからね」
得意げに紀生が言うので、澪は黙って拝聴することにした。
松前城
松前城。正式な名前は福山城という。
今、目の前にある天守閣や搦手二ノ門などは、昭和二十四年に焼失してしまったものが昭和三十六年に復元され、中は資料館として活用されている。
「元の福山城は日本式の城の中では最新というか、最後に建てられたもので、安政元年だから……ええと、一八五四年かな」
「幕末ですね」
「うん、だけど、戦国時代でもないのに、実際の戦を想定して建てられて……想定していたのとは別だったけど、実際の戦の舞台になったんだ。この城だけじゃなくて、松前の町全体がね」
「……え? どういうことです?」
紀生の唐突な話に、澪は思わず声を漏らした。
「松前家はここに福山館という陣屋を持っていたんだ。陣屋というのは小さな規模の城みたいなものだと思えばいいよ。旗本や代官なんかが住むところで、天守なんかはない、まぁ普通の屋敷だね。松前藩も小さな藩だったから陣屋だった。それが嘉永二年……一八四九年に幕府が、福山館を改築して、城にするように命じたんだ」
「幕府が? なんのためです?」
「目的は北方警備だよ。その頃、ロシア艦隊が蝦夷にたびたび来航するようになって、緊張状態にあったんだ」
「あぁ、なるほど……」
「そんな北方警備のために造られた福山城……松前城だけど、想定外の戦争に巻き込まれた。箱館戦争だよ。聞いたことあるでしょ?」
「はい……」
箱館戦争とは戊辰戦争の流れを受けた戦で、結果的に明治政府軍と幕府軍の最後の戦いとなったものだ。五稜郭の戦い、とも呼ばれている。
「松前藩は幕末、揺れていてね。基本、新政府についていたんだけど、奥羽越列藩同盟に参加していたり、まぁどっちつかずで決められず、日和っていたんだね、ただ内部でクーデターが起きて、結局は新政府に味方して、幕府軍と戦うことになった」
松前城に攻撃を仕掛けたのは、土方歳三を総督とする七百名の部隊だった。
「ところが土方の隊が到着した頃、松前藩主、松前徳広はもう城を捨てていた。残った兵たちは大砲を使って防戦したけど、半日も持たずに落城したんだ。その時の戦いで松前の町の三分の二が焼かれたというからね」
「ひどいですね。いくら戦でも。お城だけ攻めればいいのに……」
「いや」
「え?」
「僕もそこまで詳しいことは知らないんだけど……当然、土方歳三の隊も町に被害は与えたんだろうけど、町を焼いたのは松前の兵たちだって話だよ。敗走する時に城下に火を放ったって」
「……」
返す言葉もなかった。
北前船の寄港地の多くが大火の被害に遭っているという話は……残念なことに……すでに耳に馴染んでしまったが、ここでは戦に巻き込まれた結果だと知って、余計胸が痛んだ。
松前城の見学を終えたふたりは、近くにある松前町郷土資料館へ足を伸ばすことにした。車で行けばすぐの距離だが、せっかくなので城下通りを抜けて歩いていくことにした。
城下通りはその名の通り、松前城の目の前にあり、かつての城下の雰囲気を再現した通りだ。新しい建物だが、土産物屋やレストランといった観光客相手の店だけでなく、銀行や郵便局、衣料品店など地元住民が使う店まで、白壁と瓦で統一されている。
「この城下通り、雰囲気いいですね。酒田の本町通りもこんな感じになれば、もっとアピールできますよね?」
「そうだね。まぁ酒田の本町通りは民家も多いからなかなか難しいとは思うけど、せめて市役所のあたりだけでも、鐙屋さんとか、あの雰囲気に合わせられればね……」
──などと話している間に、松前町郷土資料館に着いた。
同館は松前の歴史に関する資料を、先史時代のものから展示している施設だった。展示品の中には、松前町内各地で発掘された縄文土器などもあり、この土地が歩んできた歴史の長さを実感させられた。
そして、ここの取材でふたりのお目当ては、北海道指定有形文化財になっている「松前屏風」だった。
松前屏風は高さ約一メートル半、幅四メートル弱ほどあり、松前に生まれた画家、龍園斎小玉貞良の手によるものだ。
そもそも、近江八幡の商人、恵比寿屋岡田弥三右衛門が松前に出店した際、その繁盛の様子を後世に伝えようという意図で描かせたものといわれ、宝暦年間(一七五一~一七六四年)の松前城下の様子、福山館、寺町、商家の並び、港、船舶といったものの賑わいが活写されている。
「なるほど。美術的価値だけじゃなく、歴史的資料だっていう意味がわかりましたよ」
屏風をじっくり眺めているうちに、澪の頬が綻んでいた。
「宝暦年間のこの松前の町割りの資料なんですね」
松前屏風には当時の町の様子、その区画についてもかなり正確に再現されていた。澪は早速、観光パンフレットに載っている地図と屏風を見比べ始めた。
「あー、町の区画自体は今でも変わらないんですね。戦で建物は燃やされてしまったけど、それでも町の形だけは逞しく残ってるんですね……」
そのことが不思議と嬉しくて、澪の胸は高鳴っていた。
「……田辺さん。函館に戻るのが少し遅くなっちゃうかもしれませんけど、松前の町、もう少し見て歩いてもいいですか?」
松前から函館に戻ったのは、かなり遅い時間になっていた。温泉がついているのが売りのホテルだったが、紀生と一緒に夕食を済ませた澪はかなり疲れていて、部屋のバスのシャワーだけで入浴を済ませてしまった。
翌日。
片桐との面会の約束は午後からだ。午前中いっぱい使って、函館に残っている北前船関連の史跡を訪ねることになっていた。
函館はコンパクトな街で市電でどこへでも行ける。ふたりはレンタカーを返し、市電を使って取材をすることにした。
函館駅前の電停……停留所から市電に乗った澪たちは、高田屋嘉兵衛像があるという、宝来町を目指すことにした。
市電の車内は地元住民だけでなく、観光客と思しき者たちも多く、かなり混み合っていた。
「さすが函館。やっぱり観光のお客さんで賑わってますね」
澪は隣で吊革にぶら下がっている紀生に囁いた。
「うん。でも、残念ことに……」
「北前船の遺産はあまりないんですよね」
紀生の言いたいことを先取りする。
「そうなんだよ。今回の北前船で日本遺産を申請した十一自治体の中でも、この函館はいちばん大きい街で栄えている土地だし、開発されたのは松前より後だけど、湊としての歴史は中世から続いている。かつては北前船寄港地の代表的な湊だった。でも、今となっては、北前船関連の史跡はほとんど残ってないんだ。それは……」
次に宝来町に留まるというアナウンスに、ふたりはそこで話をやめた。
高田屋嘉兵衛像がある護国神社坂は、宝来町の電停からすぐだった。そして、坂の広いグリーンベルト地帯にその銅像はあった。
──高田屋嘉兵衛。
高田屋嘉兵衛像
数多くいる著名な北前船主の中でも、別格の知名度を持つ人物である。
淡路島出身で、若い頃から船頭、船主として頭角を現した。同時期、箱館は幕府の直轄地となり、東蝦夷地のアイヌとの交易品が大量に流通するようになる。それを目当てに来航する北前船が増えたのだが、嘉兵衛もまたそうした北前船主のひとりだった。そして嘉兵衛は箱館の開発に大きく貢献した。箱館で造船所まで構え、都合四十五隻の船を建造したと伝えられている。
彼の活躍はそれに留まらず、国後~択捉航路の発見、択捉島開拓に成功し、その功績から幕府に「蝦夷地常雇船頭」を任じられ、苗字帯刀を許された。
だが、嘉兵衛の人生は波瀾万丈であり、文化九年、一八一二年に起きた「ゴロヴニン事件」において、幕府がロシア船ディアナ号の艦長ゴロヴニンを捕らえた報復として、国後でロシアに拿捕されてしまう。ロシアで幽閉生活を送るものの、その後、無事に帰国し、こんどは艦長ゴロブニンの釈放に尽力することになった。
「大きいですね……」
高田屋嘉兵衛の銅像を見上げ、澪は呟いた。銅像自体も大きかったが、それを載せる白御影石の台座も数メートルの高さがあった。案内によると、ゴロブニン事件の際、幕府代理人としてロシア軍艦ディアナ号に乗り込んだ時の正装が再現されているという。その身分に応じて、腰にはしっかりと帯刀している。
昭和三十一年、一九五六年、嘉兵衛没後百三十年を機に計画が始まり、二年後の昭和三十三年、一九五八年、函館開港百周年の年にこの銅像は建てられた。設置場所としてこの宝来町が選ばれたのは、そもそも箱館における嘉兵衛の屋敷がこの町にあったからだ。
「でも、屋敷の痕跡はまったくないんですよね……」
澪と紀生はすぐ近くの嘉兵衛の屋敷跡も訪ねてみた。だが、事前に聞いていた通り、そこに高田屋嘉兵衛の屋敷があったことを示す石碑があるのみだった。
「でも、当時は相当な広さのお屋敷だったみたいです」観光パンフレットを片手に澪は語った。「二町(二百二十メートル)四方の敷地で……あぁ、広いですね、本当に。本宅に加えて、米倉や雇っていた人たちの家や倉庫なんかまで一揃いあったんですね」
澪は石碑の前に立ち、海の方を眺めてみた。かなりの距離がある。
「……今ではかなり海から離れたところにありますけど、高田屋嘉兵衛の屋敷があった頃は、海はすぐ近くだったんですよね?」
澪の言葉に、紀生は深くうなずいた。
函館の歴史については、すでに澪も紀生も詳しく学んでいた。
「この函館に北前船の史跡が残っていない理由……それは火事だ」
紀生が低い声で言った。
──大火。
函館の街は数えきれないほどの火事の被害に遭っている。
そもそも、高田屋嘉兵衛の屋敷があった文化三年、一八〇六年には街の半分を焼く火災があった。その後も明治から昭和にかけて、多くの火災に遭っている。明治十一年、一八七八年の火災では市街地のほとんどを焼失している。それ以降、開拓使(北方開拓のために明治初期に置かれた官庁)は火事対策に本腰を入れ、大胆な区画整理と、不燃家屋の普及に努めるようになった。
だが、それでも火災は絶えず、焼失棟数で千軒を超えるクラスのものが数回、明治四十年、一九〇七年には焼失棟数で約九千件、そして昭和九年、一九三四年には遂に「函館大火」と呼ばれる、焼失棟数一万一千棟超の大規模火災が発生する。
函館と火災に関する資料を読んで、澪は背筋が凍る思いだった。
「……酒田と同じ。いいえ、酒田どころじゃないですよ、これは」
「度重なる大火で街を焼かれ、それに伴う街の再開発、そして海岸線の埋め立てで、この函館は昔とはすっかり様変わりしてしまった。結果、高田屋嘉兵衛の屋敷跡も、海からずいぶん離れたところに、ぽつりと取り残される形になってしまった。高田屋嘉兵衛の屋敷だけじゃない、北前船に所縁のあるものは皆、焼かれてしまったんだな」
「……」
現在の函館の美しい景色を見ながら聞く、その紀生の言葉はとても重いものだった。
立ち尽くす澪の頬を、さっと、風が撫でていった。
──風の街、だ。
ここも、酒田と同じ、風の街だ。
風が北前船を運んできた街だ。
だが、それ故、その風は時に小さな火を煽り、街を焼き尽くす劫火に変えてしまう。
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