小説 Kitamae ~荒波と刻を超えて~ 小説 Kitamae ~荒波と刻を超えて~

第12回 敦賀の街を歩く澪と幸成。澪は敦賀に秘められた巨大プロジェクトについて知る

 

 車は間もなく川崎町に着いた。

「これが須崎の高燈籠

 幸成が案内してくれたのは、ホテル近くの河口縁だった。

「高燈籠はわかるね?」

「はい、酒田の日和山にもありましたから。つまり、今の灯台ですよね」

 そう言って、澪は高燈籠を見上げた。

州崎の高燈籠

 

 石造りの燈籠は「高」燈籠といわれるだけあって、見上げるほどの高さがあった。幸成の話によれば、七メートル半ほどの全高があり、四角錐になった底辺は、一辺が二・三メートルある。石材は花崗岩が使われているそうだ。

「この高燈籠はこの敦賀で回漕業……海運業だね、それで成功した庄山清兵衛が享和二年、一八〇二年に自分の屋敷の一角に建てたものでね。北前船の隆盛期だ。敦賀港に来る船は皆、この高燈籠を目印にしたんだ」

「皆……」

 それに一八〇二年といえば、北浦が北前船乗りとして活躍していた頃だ。北浦の星辰丸も、時にはこの港に入ることもあったのだろうか。この高燈籠を目指して……。

 そう思うと、この石造りの古い〝灯台〟も、なにか自分と縁が深いものに思えてくる。

 澪は高燈籠に背を向け、敦賀の海に視線を向けた。日は少し傾き始めており、水面に反射する光がギラギラと猛々しくなっていた。

「……」

 波間に跳ねた日差しが幾重にも反射して、澪の目に飛び込んできた。

 ──ぐらっ、と。

 世界が傾いた。

 目眩を起こしたのかと、慌てて体勢を立て直そうとしたが。

 できなかった。

 世界は傾いたままだった。

 遠くにあるはず海面がぐっと迫ってくる。海が近づいてきたのか、自分が海に吸い込まれそうになっているのか、それも判別がつかない。

『──に、会いたい』

 海の中から……否、海面すべてを震わせるようにして、声が聞こえてきた。不思議な声だ。壊れたスピーカーが鳴っているように、男の声のように野太くも、女性の悲鳴のような甲高い声にも聞こえる。

「風見さん、どうかしたの?」

 背中から幸成に声をかけられ、澪は、はっと我に返った。

「……」

 世界は傾いてはおらず、海も遠くにあり、波濤は日差しを帯びて、その切っ先を鈍く光らせていた。

 ──なにも変わらない。

「風見さん、大丈夫?」

「は、はい……ちょっと立ちくらみがしただけで……ホント、平気です」

 目の前の光景が歪んだことも、おかしな〝声〟を聞いたことも、とりあえずは黙っていた。理由はない。否、わからない。ただ、簡単に人に伝えていい話とは思えなかった。

 高燈籠を離れた澪たちは、敦賀駅近くの敦賀市立博物館を訪ねた。同博物館は旧大和田銀行二代本店の建物を利用したものだ。建物自体は昭和に入ってから建てられたものだが、銀行は明治中期に敦賀を代表する商人で、北前船船主でもあった大和田荘七によって設立された。そうした縁もあってか、博物館では北前船関係の展示も充実していた。

「もうすっかり暗くなっちゃったねぇ」

 博物館を出ると、幸成は空を見上げて呟いた。

「見学の予定には入ってなかったけど、もう一箇所回りたいところがあるんだ。ここから車で二十分くらいかな。疋田ってところでね。いいかい?」

「はい、もちろんです」

 ナビに従い疋田まで行くには、幸成の言った通り、やはり二十分ほどかかった。疋田の街に入ってからは、幸成の案内で進んでいく。やがて古い家並みが建ち並ぶ一角に入った。

「これだよ、見せたかったものは」

 幸成が指さしたのは、道路と沿うように流れる細い川……水路だった。小さな護岸は石積みになっている。

疋田舟川

 

「用水路ですか?」

「うん、今は疋田舟川用水路と呼ばれてるから、それは正しい。当時から生活用水としての利用もあったしね。でも、元々は疋田舟川……舟の川といってね」

「舟用の川、という意味ですか?」

「そう。昔はね、敦賀の港に入った荷物はいちど陸路を使って琵琶湖を渡って、京都なんかに運ばれていたんだ。面倒だと思うでしょ? 琵琶湖でショートカットができるとはいえ、確かに面倒は面倒なんだ。だから昔……平安時代の頃から、敦賀と琵琶湖に運河を造って、水運を可能にしようとする計画がなんども立ち上がった」 

「平安時代……そんな昔から」

 澪は素直に驚いて声を上げた。

「その運河計画がようやく実現したのが、文化十二年、一八一五年のことなんだ」

「平安の頃から数えると、大ざっぱに千年の悲願が叶ったってことなんですね」

「うーん、平安の頃に計画していたのは平清盛って話だから、千年まではかからなかったと思うけど、それでも六百年か。今では部分的にしか残っていないけど、幕府と小浜藩によって開削されたのは、幅が九尺、メートル法でいえば二・七メートル、約六・五キロの長さだ。とはいえそこまで深い水路は造れなくて、場所によっては川底に船底が擦れて、枕木を使って無理やり引っ張ったりもしていたようだけど」

「なるほど……。田辺さん、私、今回の取材で実感したんですけど、ものを運ぶことへの情熱って凄かったんですね。いえ、それは今でも変わらないと思うんですけど、わざわざ荷物を運ぶために川まで造るなんて」

「そうだね」

 舟川をちろちろと流れていく水を追いながら、幸成は答えた。

「当然、商売のためっていうのが第一なんだろうけど、僕にはそれだけじゃないように思えるんだ。北前船だってそうだよ。いちどの航海で千両の稼ぎがあるといっても、必ずしも商いがうまくいくわけじゃない。命を落とすこともある」

「はい」

「それでも彼らは海へ乗り出していった。あの北浦さんだって……そうだ。この話は、これから行く、南越前町や加賀の橋立を見てからの方がいいかもしれないね」

南越前町橋立……船主集落だった町ですね」

「そう。そして、北浦さんがまず、訪ねてみると言っていた場所だよ」

「……はい」

 澪は静かにうなずいた。

 

 

 澪と幸成のふたりはその日のうちに、レンタカーで同じ福井県内の南越前町へと移動した。明日朝いちばんの、同町の右近家近辺の取材に備えてである。

 南越前町は二〇〇五年に南条町、今庄町、河野村が合併して生まれた、比較的新しい自治体である。その中でも明日の取材地である河野地区に宿をとった。

 旧河野村……現河野地区は元々、海辺の村だったところだ。泊まることになったのも海に面した、三階建ての小さな旅館だった。目の前の国道三〇五号を挟んで、すぐそこがもう小さな漁船の溜まりになっていた。海鮮料理が売り物で、越前ガニのシーズンは大いに賑わうらしいが、すでに季節は外れてしまい、ふたり以外に泊まり客はいない様子だった。

 大浴場の湯船に浸かっていると、昼間の出来事が自然と思い返された。敦賀の高燈籠の前、景色が歪み、不思議な声が……、

「──に、会いたい」

 口を突いて出た。

 あの不思議な光景、そして声……否、言葉はなんだったのだろう。

 それを考えているうちに、澪は微妙な違和感に気づいた。湯船から慌てて右手を上げてみる。右の掌がぽっと熱くなるのを感じたのだ。

「……なんだろう?」

 火傷をした様子も傷を負った気配もない。不思議に思っているうちに、その感触はどこかへ消え失せてしまった。

 風呂から上がった澪は、寝つけない予感を抱きながらも布団に入った。だが、朝からの長距離移動、敦賀の取材、そしてこの南越前町までの移動で疲れ果てていたのか、考え事をする間もなく、深い眠りについてしまった。

 ──早く寝た分、目覚めも早かった。

 朝食の用意ができるまでの間、澪は近くを散歩してみることにした。

 旅館の玄関を出ると、目の前いっぱいに海が広がっていた。昨日の夜、ここに来た時も海沿いということは把握していたが、それでも驚かされるほど近い。大波が来たら、旅館の建物も海水に洗われてしまうのでは……そんなことを思ってしまうほどだ。振り返ると、低い山が旅館の後ろぎりぎりまで迫っている。南越前町自体はその山の向こうまで、かなり広い面積があるのだが、この河野地区に限っていえば、海と山に挟まれた、その隙間にあるような土地だ。地図を見た記憶からすると、これから見学に行く右近家もまた、ここと似た海が迫った地形にあるはずだ。

 澪は道路を渡り、数隻の漁船が揚げられた船溜まりの前に立った。山からの圧力を感じながら海を見ていくと、背中を押されるような感じがした。ここの人々は昔から促されるようにして、海へ出ていったのだろうか。

南越前町河野地区海岸

 

 ともに朝食を済ませ一休みした後、澪と幸成はこの南越前町での取材を始めることにした。

「この南越前町の河野地区や、加賀の橋立は『北前船の始まりの地』なんだよ」

 取材先の右近家に向けて車を出すと、幸成が語り始めた。

「船主集落、ですか」

「そう。廻船商人や船頭たちが暮らしていた村なんだ。季節になると、家を離れて、大坂まで行くんだ」

「大坂、ですか?」

「うん、船は大坂に預けてあるからね。ここにも港はあるけど、大きな船を繋いでおけるようなものじゃなかった」

「やっぱり、いちど航海に出ると、なかなか戻ってこられないものなんですか?」

「北前船乗りの生活はね……この土地を例にとると……。

 まず、三月。この時期は『総立ち』と呼ばれる。船乗りたちの仕事始めだね。ここから歩いて大坂まで移動する。

 大坂まではすぐだけど、そのまま出航できるわけじゃないんだ。冬を越した船は傷みも出ている。その整備、それから肝心の商品の買いつけだ。大坂では木綿や酒、それに古着なんかを積み込む。そして四月の上旬になって、ようやく船出。

 そこから瀬戸内を抜け、日本海を北上する。当然、途中で更に商品を買いつけ、場合によっては土地土地で売ることもある。そして夏前に蝦夷に着く。そこで荷物の大半を売って、帰りの荷を仕入れる。蝦夷の物産、鯡粕や昆布なんだね。そうして、まだ暖かいうちに日本海を南下して、九月までには瀬戸内まで戻ってくる。そこで最後の商売をしながら進んで、大坂に着くのが冬の初め」

「じゃあ、この船主集落に帰ってくるのは、年内ぎりぎりくらいですか」

「うん、正月は地元で迎えられるってことでね」

「それでも家にいられるのは三ヶ月くらいなんですね」

「そうだね。ただその分、陸にいる時はゆっくりできた。このあたりだと、山中、山代、粟津なんていう温泉地に一家揃って出かけて贅沢をする。羽を伸ばせるのはそのシーズンだけだからね」

 話をしているうちに、目的の場所に着いた。

 ここでの取材先は、「北前船主の館 右近家」という資料館だった。

 そもそも右近家は北前船船主として、天明、寛政年間(十八世紀終わり)の頃から活躍し、全盛期には三十隻超を所有、日本海五大船主のひとつに数えられるまで成長、大きな財を成した家だ。

 それは明治期に入り、北前船が衰退しても衰えることなく、海運業から海上保険業に転換、日本海上保険株式会社(現在の損害保険ジャパン日本興亜株式会社)を興して成功する。

 道路から山側に少し入ったところに、その右近家はあった。山を背にした上方風切妻造瓦葺二階建ての本宅に加えて、三棟の内蔵、四棟の外蔵が配されている。その屋敷は豪勢な造りの中にも、上方文化の繊細な細工が印象的だ。この建物自体は天保年間の構えを基本に、明治三十四年に建て替えられたものだが、往時の右近家の豊かな暮らしを十二分に伝えていた。

右近家

 

 屋敷の中には少しひんやりとした、湿った空気が満ちていた。大きな生き物の胎内に呑み込まれた気分だった。

 受付を訪ねた澪は、酒田市役所からの取材である旨を伝えた。地元のガイドがついてくれて、早速、案内が始まった。

 

 

第12回終わり 第13回へ続く

毎週金曜日更新 次回更新日:10/26

動画「北前船 西廻り航路の秘宝」はこちら