北海道 石狩市
石狩は、北海道をめざして日本海の荒波を乗り越えてきた北前船の目的地の一つでした。松前藩の時代が終わり、江差、函館、松前以外への北前船の来航禁...
石狩は、北海道をめざして日本海の荒波を乗り越えてきた北前船の目的地の一つでした。松前藩の時代が終わり、江差、函館、松前以外への北前船の来航禁...
江戸時代後半に始まるニシン漁業と、明治時代以降の港湾整備によって発展した小樽。明治2年(1869年)、蝦夷地が北海道と改称され開拓使が設置さ...
江戸時代、松前、江差と並ぶ松前藩の交易港だった箱館。当初は北前船にとっては魅力に乏しかったのが、東蝦夷地の幕府直轄によって一変します。東蝦夷...
春、海の色を変えるほどニシンの大群が押し寄せた松前。17世紀、松前に出店を開いた近江商人は、松前のニシン、昆布、干しあわびなどの産物を京都、...
津軽藩の海の玄関としてにぎわった鯵ヶ沢。北陸や瀬戸内海、大阪からの船が日用品、京や大阪の文化などを運び、また、藩米を大阪に積み出す御用港とし...
深浦は津軽で一番の「風待ち港」として栄えた港でした。行合崎は細長く突き出た岬で、北前船が行き交うことからこの名がつけられました。行合岬と入前...
船川港は男鹿半島南東部に位置し、北西にある真山などの山地が季節風を防ぐ恵まれた地形のため、明治44年(1911年)の築港以前も、船が避難する...
鳥海山を背に日本海に開けた塩越湊は大澗、小澗、鰐渕の総称です。なかでも最大の大澗沖には千石船が12艘も碇泊でき、船と陸を結ぶ艀船が行き交って...
能登半島の西海岸、二つの深い入り江が並ぶ福浦(ふくら)は、江戸幕府が西回り航路を開拓した時、公式寄港地と定められました。外海が嵐でも入り江は...
トンネルを抜けるたびに現れる美しい入江に「わぁきれい!」と声があがります。日本海に沿った但馬地方の陸路(ユネスコの山陰海岸ジオパークに認定)...
西廻り航路の寄港地であった小木港から南西約4㎞に位置する宿根木は、江戸時代中頃から明治にかけて、日本海を舞台とする廻船業の基地として栄えまし...
能登半島は日本海に大きく突き出すその地理的条件のため、古くから日本海の交通の要所として、経済や文化の交叉点となってきました。輪島市門前(黒島...
北前船で巨万の財を築いた船主が多く、「日本一の富豪村」と言われたのが、石川県加賀市にある瀬越と橋立、2つの集落です。近くの山中温泉には北前船...
その昔、越前国府の武生と、京への物資輸送の拠点だった敦賀を結ぶ海運で栄えた旧河野村。越前海岸の南端、敦賀湾のほぼ入り口に位置する、「海ととも...
大阪府南部の泉佐野市は室町時代から、遠く対馬へも出かける漁船集団があり、回船業も盛んでした。江戸時代になると、大坂から江戸へ年中航海する菱垣...
野辺地は江戸時代に盛岡藩の湊町として発展し、領内の大豆、銅(尾去沢銅山)、鰯〆粕などの物資が、西回り航路により蝦夷、北陸、瀬戸内海、関西など...
米代川河口に位置する能代は流域からの金銀銅や木材、米などが運ばれ交易地として栄えました。特に注目を浴びたのが秋田杉で、文禄2年(1593年)...
秋田杉や米など、特産品を運び出す港として栄えた土崎。米以外にも多くの産物が集まるこの港は、北前船を呼び寄せました。19世紀初期、土崎へ入港す...
江戸時代、由利本荘市を流れる子吉川河口に亀田藩の石脇湊と矢島藩・本荘藩の古雪湊が川を挟んで整備されました。石脇湊は、亀田藩の重要な湊として栄...
江戸時代、「西回り航路」によって繁栄を極めた港町。酒田からは米以外にも出羽の紅花を積み、帰り荷は、その紅花で染めた京友禅やひな人形など、京の...
江戸時代の庄内藩最大の港は酒田でしたが、城下町だった鶴岡市にも北前船寄港地が点在します。越後からの関門、鼠ヶ関は小さな湾ですが、藩の番所があ...
2019年1月に開港150周年を迎える新潟港は、日本海を行く北前船などの回船や川舟が集まる町として栄えました。港に通じる小路が随所に延び、通...
江戸時代の寺泊は、海上交通の要として栄え、本州から最短距で佐渡島に渡れる地としても知られました。北前船がもたらした富により、多くの人々が暮ら...
出雲崎には江戸時代、幕府の天領7万石を支配する代官所がありました。古い家並みの通りのはずれに、代官所跡があります。この通りは、佐渡の金銀を江...
直江津(今町)は、室町時代に成立した日本最古の海洋法規集である「廻船式目」において、当時の日本で十を数えた重要な港を表わす三津七湊の一つに名...
富山湾に面した東岩瀬は、神通川河口右岸の良港であったことから、加賀藩の米倉が設けられるなど、江戸時代から明治時代初期にかけて北前船の寄港地と...
高岡市伏木には江戸時代から大正時代にかけて、最盛期には大小30軒ほどの廻船問屋があり、北前船の寄港地として栄えました。伏木の北前船は、越中各...
金沢市を流れる犀川の河口、金石を本拠地とした銭屋五兵衛は、北前船で巨万の富を築きました。しかし藩内の政争の余波で財産は没収、五兵衛自身獄死し...
白山から流れ出す手取川の河口に位置する白山市美川は、室町時代から全国有数の港町でした。江戸時代には、加賀藩の米などを運ぶ回船業が発達し、北前...
歌舞伎「勧進帳」で知られる安宅の関は、古代より日本海側の海上交通の要でした。北前船により全国から安宅に運ばれた商品は、安宅湊と内陸部を繋ぐ梯...
三国湊の町並みは、北前船の寄港地として栄えた江戸時代からのもので、古い湊町ならではの風情が色濃く漂っています。九頭竜川沿いには、北前船を所有...
古来より、富の集まる町だった敦賀。海外に対する朝廷の窓口であり、中国船が交易品を満載して訪れました。芥川龍之介の有名な小説「芋粥」の舞台はこ...
日本海側のほぼ中央に位置する若狭小浜は天然の良港で、御食国と呼ばれ、古来より皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料を納めていました。その道は...
城下町宮津は、丹後ちりめんや海産物、醸造産業に支えられ繁栄しました。日本海を西へ東へ走る北前船の港町として産物を商う廻船問屋にはいくつもの大...
賀露は鳥取平野の中央部を南北に流れる千代川と、湖山池から流れ出る湖山川が合流し、日本海に注ぐ河口に位置する港町です。古くから日本海と国府・鳥...
浜田市には、外ノ浦・瀬戸ヶ島・長浜の三つの港があり、中でも外ノ浦は北前船の西廻り航路の風待ち港および瀬戸内方面への中継点として栄えた浜田藩最...
瀬戸内海のリアス式海岸の奥に位置する片上は延喜式に登場する古よりの要港です。江戸時代には西国街道の宿場町に指定され、本陣・脇本陣が置かれまし...
北前船の起終地となった大坂は、古来から国際港「難波津」、「住吉津」を擁し、朝鮮半島や中国大陸など海外に開かれていました。北海道や日本海沿岸の...
洲本市五色町都志は廻船業を興し、蝦夷地開拓や日露民間外交の先駆者として活躍した高田屋嘉兵衛の生誕地です。嘉兵衛は22歳の時に兵庫へ出て拠点を...
大阪とともに北前船の拠点港であった兵庫。兵庫津と呼ばれた港の近辺は、六甲連山によって北西の季節風が遮られ、和田岬によって西からの波浪が防がれ...
工楽松右衛門のゆかりの地である高砂は加古川河口に位置し、加古川舟運と瀬戸内海運の中継地として繁栄しました。工楽松右衛門は高砂出身の江戸時代の...
姫路藩の外港の一つとして、姫路市の野田川河口に開けた飾磨津は、『万葉集』にも記される古くからの海運の要衝で、江戸時代になると瀬戸内海の往来船...
深く湾入した室津は『播磨国風土記』に「風を防ぐこと室のごとし」と評された古代からの良港で、中世には平清盛も寄港しました。江戸時代、西国大名の...
瀬戸内海に面する赤穂市坂越は弧を描く特徴的な地形の坂越湾と、湾内に浮かぶ生島によって、天然の良港として古くから栄え、さらに寛文年間(1661...
倉敷市には瀬戸内海を望む児島半島の先端に、岡山藩の外港として栄えた下津井、大規模な干拓によって綿花栽培と積み出しで栄えた玉島、そして、塩田か...
多度津は元禄7年(1694)、丸亀藩から分家した1万石の小藩ですが、巨費を投じて港を整備し、北前船も停泊する港町として発展しました。また西国...
その停泊しやすい地形から、中世より瀬戸内海最大級の港町として発展した尾道。室町時代以降は日本最大の海賊「村上海賊」が近くの芸予諸島に現れまし...
竹原市には、竹原と忠海の2つの北前船寄港地があります。竹原では江戸時代初期から入浜式塩田による製塩業が盛んに行われました。また、寛政7年(1...
御手洗は呉市の東、瀬戸内海のほぼ中ほどの大崎下島に位置する港町です。呉市の中心から御手洗までは途中に3つの島がありますが、すべて橋で繋がれて...