野辺地は江戸時代に盛岡藩の湊町として発展し、領内の大豆、銅(尾去沢銅山)、鰯〆粕などの物資が、西回り航路により蝦夷、北陸、瀬戸内海、関西などの湊町に積み出しされていました。当時の湊には七百石から千二百石の船がひしめき、町には堂々たる大店をかまえる豪商が軒を並べていたとか。野辺地町立歴史民俗資料館にはそれら北前船による航海、交易に関する海運資料が数多く保存されています。
青森県 野辺地町
野辺地町の構成文化財
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浜町の常夜燈
北前船で財を成した豪商野村家によって建立された燈籠。
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末社金刀比羅宮本殿
北前船の海上安全を祈願するために町内の廻船問屋たちによって勧請寄進された社。
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旧野村家住宅離れ(行在所)蔵付き
北前船で財を成した豪商野村治三郎の別邸。
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北前船関係資料群
古文書や和磁石など北前船関係資料群。
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北前船船乗りの墓及び擬宝珠
野辺地湊までの航海中や在町中に亡くなった北前船船乗りの墓並びに各地の北前船主たちが寄進した擬宝珠。
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北前船が運んだ石造物
北前船でバラストとして積まれてきた瀬戸内海で採れた石を使用した石造物。
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のへじ祇園まつり
北前船によって京都からもたらされた祭り。
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河原決明の茶がゆ
北前船で上方から伝えられたとされる、河原決明を焙じて作ったお茶で炊いた茶がゆ